洋菓子 / 安藤 明

平成19年認定
昭和25年生 平成24年没
勤務先:(株)ユーハイム

ヨーロッパ菓子を極めた末に、“お菓子の王様”と称されるバウムクーヘンを世に送り出し続けて…。みごとに初志貫徹し、ドイツ菓子に生き甲斐を見出した安藤さん。

受賞歴

”ドイツ菓子に賭けた人生。本場の製菓マイスター”


兄が大型船「ふじ」に乗って南極大陸に行き、帰国のたびに外国の写真を見せてくれた。外国への憧れが芽生えた。そんな時、ユーハイムの社員が高校へ求人活動に来た。「勉強しだいでドイツ留学も出来るという言葉を信じて昭和44年にユーハイムに入社しました。」住吉工場で3年間を過ごし、福岡ユーハイムができるということで、九州に赴任。忙しい仕事のかたわら、ドイツ語の勉強を続け、入社7年目、3度目の挑戦でドイツ行きの資格を手に入れた。
25歳の2月、ドイツに留学。フランクフルト市内にある「コンディトライ・カフェ・ラオマー」に勤務した。現地の人たちの菓子を作るひたむきな姿勢に感激し、貪欲に何でも吸収するという毎日を過ごす。ドイツに住んで3年目、菓子職人の親方を養成する学校、西ドイツ国立製菓技術専門学校「マイスターシューレ」に入学する。初の日本人であった。民法や経理の勉強もあり、夜、街の簿記学校に通った。1978年12月、卒業試験に合格。筆記試験は当然全てドイツ語で苦戦したが、実技は49人中3番で、校長からは誉められた。卒業証書を手にして、安藤さんは男泣きした。
ドイツのマイスター資格を修得して、今度は隣のオーストリアのウィーンへ行くこととなった。「リーダマン」という店で、ウィーン菓子の基礎を勉強し、「ローゼンハイム」というブランドを立ち上げるのに大きく貢献した。3年後、フランスへ行くように言われ、パリの老舗「ペルティエ」に入る。「そこは誰でも入れるわけではないんですけど、マイスターの資格を持っているということで、許可されました」。そのため、6ヶ月間フランス語を勉強した。「フランス人は菓子を料理の延長と考えます。卵白と砂糖の芸術とでもいうべきフランス菓子を徹底的に勉強しました」
フランスから帰国後、東京原宿で「ペルティエ」の日本店を立ち上げた。その後、ギフト商品の開発のために再度フランスに出かけるなどして、原宿の企画開発室で6年ほど過ごす。その後、東京の丸の内ビルにユーハイムの新しいブランド「 ユーハイム・ディー・マスター」が誕生して、ドイツのトップ商業デザイナー、ペーター・シュミット氏との企画を担当する。「コラボレーションケーキ」とでもいうべきもので、シュミット氏が図案を描き、安藤さんが菓子に作り上げる。物語性のある斬新でスタイリッシュなケーキが話題を呼んだ。味覚だけでなく、目で食べるテクニックも駆使して、ケーキを切った時に、中からチョコレートや果物のソースが溶け出すなど感動的で、“ケーキのアーティスト“としても注目された。


井上さんが経営する㈱アイドでは現在15人のスタッフがウインドーディスプレイや各種看板、街路デザインなどの実務と取り組んでいる。コンピューターを使ってレタリングやかなりのデザインが可能な時代に、あえて「機械では出せない書き文字の創作で腕を磨け」と、激励を怠らない。昭和63年一級技能グランプリ全国大会における、貿易摩擦の解消を願う政府広報ポスターの制作での3位入賞をはじめ数々の入賞実績を誇る井上さんの自信が生み出した指導方針だけに、その言葉には説得力がある。


平成12年以来、安藤さんはユーハイム神戸工場で腕を振るって現在に至っているが、ヨーロッパで本場の菓子の極意を極め尽くした果てに、彼自身が世の人々に勧めたいのは、やはりドイツでお菓子の王様と称されるバウムクーヘンだという。「小麦粉、バター、卵、砂糖だけで生地を作り、焼き上げます。余計なものを一切加えず、素朴なままに仕上げます。だからこそ、味わい深いバウムクーヘンになるんです」。ドイツ菓子の達人の秘訣は「素材を生かすこと」と言い切る。思えば、高校時代に憧れて入社したユーハイムが安藤さんを生かし、その安藤さんがユーハイムの伝統のブランドを育てる。

受賞歴

  • 神戸市技能功労者賞
  • 卓越した技能者(現代の名工)