日本料理 / 武田 利史

平成23年度認定

昭和38年生 / 神戸市在勤
勤務地:四季の彩 旅篭,湯元こんぴら温泉 華の湯 紅梅亭

「包丁さばきは料理人の魂の発露」と肝に銘じて、和食を味の芸術にまで高める。「品質、サービス、雰囲気」の三拍子で顧客に満足を、と後進の指導にも励む。

受賞歴

  • 兵庫県功労者賞(労働・技能功労)
  • 卓越した技能者(現代の名工)
  • 黄綬褒章

野菜の育て方、魚介類の取り方まで気配りし、おいしく食べさせることに加え、安全をも重視。プロから中学生まで、食文化の普及をはかる指導も熱心。


兵庫県尼崎市生まれ。中学生時代、料理人の仕事に憧れた。「おなかいっぱい食べたいと言うこともあったかもしれません」と、35年前を振り返る。高校を卒業して、料理専門学校に進むことも考えたが、厳しい道を選び、大阪ミナミの割烹料理店に飛び込んだ。「鍋洗い、野菜洗いばっかりで、料理の作り方を教えてもらうにはほど遠い環境でした」。想像と現実は異なる。そこで挫折すれば、未来はない。自分に鞭打ちながら、武田さんは料理の道を歩き続けることにした。少し要領を覚えて、前進を目指して店を変わった。が、同じことだった。「しかし、そんな厳しい状況で修行出来たことが、自分を大きく成長させることが出来たかな、と今では感謝しています」と、笑顔で述懐する。やっと下ごしらえをさせてもらえるようになったかと思ったら、鍋の野菜盛りを一年、料理の盛り付けを三年。どうにか賄いの料理を作らせてもらえるようになって、黒門市場へ材料の買い出しに行かせてもらえるようになった時の喜びはひとしおだった。


「調味料の使い方のコツなど教えてもらえると思ったら大間違いでしたね」。先輩が使用する各種調味料の分量を自分なりにあらかじめ量っておいて、先輩が使ったあとの減り具合を計算して味付けのコツを学んだ。そのうちに魚の下処理を任されるようになって、メキメキ腕を上げた。「刺身では人に負けない」と自信を持てるようになったが、やがて明石の老舗料理旅館「人丸花壇」に移って、上には上があることを身を以て知らされた。「謙虚に立ち直ってただただ、精進を積むしか方法はなかったですよ」。そのうちに、さかなの調理に関しては誰にも負けないほど腕を上達させた。「生きのよい魚に包丁を入れることがいかに真剣勝負であるかを悟ったんです」。体験のなかから身に付けた論理はこうだ。ピクピク動く魚に包丁が負けると、切り口が丸くなる。包丁が勝って、さばきがあざやかだと切られた魚肉が盛り上がってカドがとがる。「つまり、切り口を見ただけで、その料理人の腕前が分かる、ということですね」。名人芸を発揮するためには、包丁の扱いにも細やかに神経を使う。武田さんは本場の堺から、それも本焼きの包丁を取り寄せ、十分に手入れをして使いこなす。「昔、武士の魂が刀と言われたように、今、料理人の魂は包丁でしょう」。魚一尾一尾と向き合って腕の冴えを見せるまでに成長した武田さんを待っていたのは、有馬温泉でも指折りの名門旅館「瑞苑」だった。そこで、料理の鉄人として名声を得ていた大田忠道さんと出会い、じきじきに指導を受けるようになる。「味の芸術と言える料理の極意を肌で吸収させてもらいました」と感謝する。より一層の磨きをかけた料理人として手がける作品は、例えば、ハモ料理。「皮の薄さを見て湯につける時間を考え、花の開きがいいように計算して精密に包丁を入れておくんです」。また、河豚の調理や平目の薄造りなど、師匠譲りの妙技をいかんなく出し切って顧客をうならせる。現在では有馬温泉の「旅籠」「奥の細道」「関所」で陣頭指揮を取るほか、各地に赴いてプロ中のプロを養成する指導者として縦横無尽の活躍の毎日だ。自ら切り開いた道を一歩一歩進んで来た人らしく、野菜に関しては直接生産者のもとに足を運んで、顧客に喜ばれる野菜づくりを推奨し、それらを活かした新しい料理の開発にも積極的で、まだまだ留まるところを知らぬ道半ばの武田さんだ。