美容 / 三原 八須雄

令和5年度認定

昭和38年生 / 神戸市北区在住
勤務先:株式会社みはら美容室 藤原台店

近代美容発祥地神戸の伝統を守り抜く男性美容師。綺麗な仕事で顧客を美しく。人間味あふれるプロフェッショナル。

受賞歴

  • 美容師免許
  • 管理美容師
  • 全日本美容技術選手権東京大会 入賞
  • 全日本美容技術選手権大阪大会 入賞
  • 全日本美容技術選手権北海道大会 入賞
  • 神戸市技能奨励賞 受賞
  • 神戸市優秀技能者表彰 受賞

美容室の原点「髪結い」の家にあって運命のままに業界入りした個性豊かな存在。映画やドラマの美容アドバイザーとしても活躍。プロ再教育講座で後進の指導に励むなど美容界の活性化にも貢献。


文明開化と共に電気パーマが入ってきたことから我が国近代美容発祥地とされる神戸で、明治時代からの伝統を守る美容師が三原八須雄さん。物心付いたころは祖母が有馬温泉で「髪結い」と呼ばれる今で言う美容室を構えていた。常連客のなかに芸妓さんもいて華やいだ雰囲気を漂わせる独特の空間を身近に感じながら少年時代を過ごす。
「女の園と言った様子で、足を踏み入れ難いものがあり、自分とは無縁の世界だと思っていました」と当時を振り返る。
二代目は母。母の後は姉が継ぐものと誰しも思っていたが、家業を勘案した一般知識として、八須雄さんは高校進学を機にダブルスクール制度で美容専門学校の通信教育を受ける。卒業後は京都の大学に進学し青春時代を過ごす。
「4年生に上がるころ、縁あってニューヨークで過ごす機会に恵まれました。家族からはちゃんと卒業できるなら渡米していいと言われたので、単位の取得に励み、この機に美容師免許も取得しました。」ファッションにしろ芸能にしろ世界をリードする都市で約1年間見聞を広めたことが美容師としてのセンスを磨くのに役立った。が、この時点では美容師になる気持ちはさらさらない八須雄さんだった。


急転直下、彼の運命が変わったのは姉が大学を卒業して神戸有数のファッションメーカーに就職してしまったこと。明治期からの老舗を絶やすのはしのびない。「それなら男の自分が女の園を守ろうと決心しました。ジェンダーレスという言葉がよく聞かれるようになりましたが、美容業界においていち早く垣根のない仕事に踏み切ることにしたわけです。」簡単に美容師試験を通過したため「美容師なんて楽勝や。すぐトッププロに登り詰めてやる」と勇んで業界入りしたものの、いざ仕事を始めてみると「伸びきったピノキオの鼻がポッキリ折れました。」案に相違して、みはら美容室三代目の時代は荒波の中に舵取りを進めることとなる。挫折を味わった八須雄さんは練習にも身が入らず、コンクールに参加しても芽が出ない苦難の時期が続く。
平成4年、美容技術の世界大会を見たことがきっかけとなり一念発起。がむしゃらに勉強を続けるうちに、世界大会で日本チームを幾度も優勝に導いた名トレーナー・掛川吉隆先生に師事するチャンスが訪れる。真剣勝負で挑む三原さんは基本に忠実かつ創意工夫は大胆にというやり口を身に着け、全日本美容技術選手権・兵庫県大会で4度の優勝を果たすまでに成長した。歳月は人を育てるとの格言を地で行って、世界大会選考会出場の実績も積んだ三原さんは、大阪の(故)岩見悠紀子先生の推薦を受けて多方面の美容技術大会で審査員を務めるまでになり、晴れてトッププロの仲間入りを果たす。
現在は、神戸電鉄岡場駅前と大池駅前に店舗を有し、美容師歴37年の腕を存分に振るっている。確かな技術と豊かな感性が買われてNHK連続テレビ小説「おちょやん」の美容指導を担当したほか、吉田茂と白洲次郎を題材にした映画「日本独立」の神戸ロケでもヘアメイクをこなすなど他に真似の出来ない才能を発揮してみはらファンの期待に応えている。また独自に培った技能を後進に伝授すべく「Teamみはら」を立ち上げてプロ再教育にも熱心。

「日々の仕事は地道に誠実に、お客様をより美しくと心して精進しています。今ではこの仕事について良かったと感謝しています」
幅広い年齢層の顧客にリフレッシュの場を提供し、夢を形にする仕事は人間味あふれる三原さんに最適と運命の粋なはからいに納得がいく。