板金加工 / 大蔵 岩満

平成17認定

昭和29年生 / 兵庫県明石市在住

世界で2275機の発電機納入実績(2004年10月現在)を持つ三菱電機の発電機部品の板金溶接及び機械加工を一筋に担当してきた。「沖永良部島から三菱電機に入社した時、テレビでも作るのかと思ったら、発電機の仕事でした」。

受賞歴

  • 兵庫県技能顕功賞
  • 卓越した技能者(現代の名工)
  • 黄綬褒章

緻密さと繊細さで、巨大な発電機フレームの工作に挑む


火力、水力、原子力発電機のほか、直流・交流電動機械、潜水艦用主モーターなども手がけ、専門知識に裏付けされた技術で、世界トップレベルの三菱を支える旗手に成長した。技術者として勤務のかたわら、技能選手としても活躍し、北海道で行われた第35回全国溶接技術競技会ではみごと優勝し、日本一の座に輝いた実績を持つ。 発電タービンを覆うフレームは10mに及ぶサイズになるのはザラで、何枚もの鉄板をつなぎ合わせて巨大な容器に仕上げるだけに、溶接の技術が大きくモノをいう。コンピューター制御の溶接機械を使いながらも、あえて、微妙なところはマニュアルに切り替えて、完成度を高めるとのこと。3.8cmもの厚さの鉄板を湾曲させて長さが8mを越える巨大な円筒形のフレームに仕上げる作業などはまさに神わざと思えるほど。 「荒っぽい仕事のようで、実は繊細さを要求される仕事なんです」。シャープペンの芯ほどの誤差もなく、きっちり仕上げる緻密さが当たり前。 しかも、ひとたび据え付けられた機械はかたときも休むことなく、何十年もに渡って動き続ける。1台の機械が文字通り生き続ける間に作り手の大蔵さんは選手からコーチへ、そして大会役員へと飛躍した。毎日の職場においても、チームを率いる監督の立場に。「これしか出来ないという人材ではなく、複数の技術を使いこなせる人材になれ、と指導しています」。“単能工”から"多能工"の時代が来た、と大蔵さんはうまい表現をする。


三菱・神戸工場で製作された発電機が海外で採用されることが極めて多くなった現代ならばこそ、その技術はいっそう信頼のおける確かなものでなければならない。「気軽に飛んで行ってメンテするわけにいきませんし、据え付けなども現地の作業に任せなければならないケースも多いですから、完ぺきな製品にして送り出すことがいちばんです」。南米のベネズエラへ変圧機から工場に送電する装置の工事に1カ月半の出張をしたことがある。「溶接を現地に任せきれなかったからです」それほど熟練の腕が必要な仕事であることを改めて実感する。 日本溶接協会の役員として全国の業界の技術向上にも一役買っているわけもうなづける。
リニアモーターケースの溶接を行う姿勢を最適にする段取りの改善で作業時間を半減し、能率アップを具体化した実績も高い評価を得ており、ビジネスとしての物作りを円滑にする才覚の持ち主でもある。昭和52年~59年に技能五輪選手の指導を受け持った時には8名もの入賞者を輩出した後進の育成ぶりの見事さも語り草となっている。